『レフ板の青春』
この作品は、長い人気を誇っている。たくさんの映画やドラマ、CMなどに引っ張りだこの長澤まさみだから…? 確かに、簡単にそう割り切ることはできるけど、理屈など、なんの「事実の凝視」なしに、どこにでも貼り付けられる。
長澤まさみのたくさんの表情(かお)を見てほしい。彼女自身「素の長澤まさみを見てください」といっているように、いろいろな「顔(Expression)」は、視聴者に何を伝えているだろうか…?
ただ、さっと流して見てしまうとわからないだろうけど、よく見ると、「本当に、この長澤まさみ、ひとりで演(や)ってるの?」という疑問がわきあがらない人はいないだろう。
「よく見る」、つまり、「ふつうに見る」とは、いとも簡単なことだ。あなたの身近な人が突然ある日、いつもと違っていたら、親友なら、家族なら、気づかない人はいない。
「今日は調子いいんだな。俺もうれしい」
「何かあったのかな、無理に表情造っているみたいだけど…。
あとで、二人のときに尋いてみよう」
「眠そうだ、疲れていて可哀想。休ませてあげたいな…。
よし、ひとつ、家によんで飯でも作ってやろう」
「事実の凝視」などと、仰々しい表現を使ったけど、実際こんなことを言っているわけ。
ところで、芸能界とは、「道化の世界」だ。ありもしないことをいかにもあるかのように、虚構をあたかも事実であるかのように、嬉々として仰々しく伝えたがる。だから、最近のテレビを初めとするマスコミに対する関心の薄れは、当然の結果と言える。「ふつうの人なら、こんなの道化だ。おためごかしだ。」と簡単にわかるからだ。政治の世界も経済の世界もそんな芸能界と密(みつ、ひそか)に内在外在しているのだから、しまいには、「ふつうの人=国民」に飽きられてしまう。
そんな時代の趨勢の中で、長澤まさみのこのDVD作品は、彼女自身の強い意志もあり、「レフ板」に象徴される、長澤まさみの「青春」に、彼女自身と彼女をとりまく芸能界の姿を、リアルに描きだしたものだ。
「リアルまさみ」と、わたしは呼んでいる。
芸能界には、わずかではあるが、そんな、本当にリアルな女の子がいる。
こんなかわいい、実直な誠実な一心な「青春」しているタレントだけが、
本当に「家族」たるにふさわしい。
リアルな視聴者なら、そんな想いに駆られるだろう。